Manuela Guest Day 2011/8/6 |
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Harvey Thompsonのことを知らない人が普通です。2002年に生まれ故郷のデトロイトから大阪にやってきました。 2003年に赤坂のBフラットがデトロイトからJo Thompsonというおばあちゃん歌手の来日に合わせて大阪からHarvey Thompsonを呼んで、Motownナイトを企画しました。 当時、まだ健在だったオーナーの杉谷さんのアイディアでした。私に聴かせたい歌手が来るときは必ずお誘いの連絡がありました。そして、いつもB-Flatの記者席のど真ん中の席を取っておいてくれるのです。 私が好きな歌手は彼はよく解っているのです。いい人でした。 Harveyの”Here's To Life”を聴いて私は仰け反りました。この年の10年前にシャーリー・ホーンがジョニー・マンデルのアレンジで歌いグラミー賞をとった歌です。 |
実はその9年前に作曲者のArtie ButlerからJoe Williamsがもらった歌です。ところが無能なプロデューサーがレコーディングをしそびれている間に、元のマネージャーがジョーの歌ったテープをコピーして、シャーリー・ホーンに聞かせたのです。シャーリーはジョーの歌に触発されて歌ったと言っています。ジョーは自分の歌を盗んだことで2人を怒りました。遅ればせながら、翌年にロバート・ファーノンのオーケストラで歌い、もう一つ、ジョージ・シアリングと2人きりのバージョンでもレコーディングしてCDを出しました。 ハービーはこのCDを聴いたのです。シアリングのピアノをコピーした譜面で歌っています。 昨年、ハービーは大阪から東京に引っ越してきました。しかし、All of Me Clubでもライブがあっても、誰も聴きに来ないのです。ハービーのことを知らないのです。1st.Setは家内と2人だけでした。これでは店はもう一度歌わせようと思わないでしょう。呆れますね。 一度、マヌエラに呼んで歌のわかる人に聴かせてやりたいと思いました。「ジャズ道楽」の小川徹が、自分の配信するビデオでハービー・トンプソンを使いたいと言っていましたので、「一緒にうちに遊びに来い」といって7月の20日にやって来ました。面白がって、帰りたがりませんでした。ズージャの歌い方談義になり、モータウンンのR&Bの乗りや声の使い方を実演するのです。面白かったですよ。 それで、マヌエラでゲストデーに出ないかと言うことになり、8月6日(土)に決定しました。私は大きなポスターを2種類作ってマヌエラの壁に貼ってもらったのですが、これを見て興味を持つ人は、マヌエラに来るようなお客でも聴きに行こうと思う人は1人か2人じゃないかと思い、聴かせてやりたい人にメールをしました。私が聴けと言うならと来てくれました。
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この歌をジャズライブで歌う人は珍しいと言わなければなりません。しかし、こんな”The Way We Were”は聴いたことありません。今日もびっくりさせられました。 我が家でも発声法の話題となり、低音と高音の使い方、歌い方を如何に研究してきたかが解ります。「おー、こうして唱法の研究をしてきたのだ」ってね。1曲の歌の隅々まで手を抜かず、神経を行き届かせる彼の歌作りはすごいものがあります。 今夜の最後の曲は”Here's To Life”でした。ハービーは私のこの歌への思いをよく知っているのです。 実に充実したマヌエラ・ゲストデーでした。 |
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今夜のプロデューサーはこの人。 「ジャズ道楽」の小川徹です。 |
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今夜、聴きに来てくれた人は、わかGを信じて聴きに来てくれた人ばかりでした。 |
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おととい、此処でミニライブをやった徳永啓ちゃんが、明日ロスに帰る前なのに4人で来てくれた。あれ、ここに写っていない。どこ行ったのだ。 |
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裕夫の早稲田での教え子が2人ついて来た。 |
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仕事の話。 2004年冬に「八ヶ岳ジャズ・ストリート」をプロデュースした甚目裕夫。 ありとあるゆるものをプロデュースしている。クラシックからジャズまで。 |
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CDにサインをしてもらった。 |
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本日、最年少のお客の悠太郎。 お母さんに連れられてきました。 中学2年になりました。 |
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いつもの久保田写真館。 |
撮影:わかG |
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あんな大きなポスターを出しているのもかかわらずマヌエラのお客さんたちは知らん振りでした。そんなことだろうと想像していました。 でも、私が案内のメールを出した人たちを含めて20人ほどが集まりました。私が言ったとおり、皆、満足してくれました。来なかった人は損をしました。 2,3のメールをご覧ください。
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